ヌースについて

フリーランスとして映像制作を行うヌースのコンセプトは、「映像の力で、コンテキストの壁を打ち破る」ことです。

「コンテキストの壁」とは

映像に限らず、創作物の分野では「万人受けする作品はない」とよく言われます。

これは言い換えれば、「誰かに好かれる作品は、一方で他の誰かに嫌われる作品である」ということ。

嫌われる、とまで言うと極端かもしれませんが、誰かの琴線に強く触れる、誰かを強く感動させるような作品は、ターゲットを狭く絞った、特定の層へ向けたメッセージとなりがちです。

例えば、幼稚園児が描いた母親の似顔絵。

かろうじて人間の顔の形をしているような、作品としては「下手」な絵でも、きっとその子の母親にとってはどんな著名なアーティストが描いた作品よりも、素晴らしい宝物でしょう。

しかし、親心にまだ関心のない思春期の野球少年にしてみれば、そんな他人の子供の下手な絵なんて、何の感動も生まないものだったりするのです。

このように、受け手の背後にある環境、人間関係、思想信条、またはその作品に触れた状況、経緯などに鋭くピンポイントにマッチする作品ほど、「まさに私のことを描いている作品だ!」と思わせ、受け手に真に迫った感動を与えることができるのだと思います。

この、それぞれの人がそれぞれに持っている背景、その人が人生の中で描いてきたストーリー、あるいは獲得してきた文脈を総称して、ヌースでは「コンテキスト(文脈、脈絡)」と呼んでいます。

コンテキストの壁を越えて、いかに多くの人に感動を伝えることができるか。

それが、価値観と好みが多様化し、映像を含めあらゆるメディアが溢れる現代において、クリエイターに求められている力なのだと、ヌースは考えます。

 

コンテキストを打ち破る力

映像を見る人それぞれが持っているコンテキストの壁。

映像には、これを打ち破る力があります。

私は小学生のころ、テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」が放送されていた世代なのですが、内容が全く理解できないにもかかわらず、毎週楽しみにして食い入るようにテレビを見ていたのを覚えています。

子供のころはそんなこと意識もしていませんでしたが、今にして思えば、まさにエヴァンゲリオンはハイ・コンテキストの代表格とも言えるような作品です。

難解なストーリー、意味不明な専門用語、抽象的な心理描写、あのTVシリーズを見てコンテキストにマッチした人は、かなり少数なのではないでしょうか。

にもかかわらず、社会現象と言われるまでに大ヒットを記録し、長きにわたって劇場版まで制作されることになり、国民的アニメとして受け入れられるようになったのは、ひとえに映像の力と言わざるを得ません。

あのエヴァンゲリオンの類稀な映像センス、クオリティが、コンテキストの壁を打ち破って、「なんかわからないけど、凄い!」というシンプルな感動で観る人を魅了したのです。

もしエヴァンゲリオンに映像的クオリティが伴っていなかったら……。きっと一部のアニメマニアだけが知る、ニッチな作品になっていたかもしれません。

エヴァンゲリオンという作品は、内容に対する共感や理解が得られない段階でも、映像での感動があったから、コンテキストの異なる人々を惹きつけ、その難解な内容にまで興味を持たせることができたのだと思います。

この、映像が持つコンテキストの壁を打ち破る力。

この力を映像を通して提供することで、すべての作品に人々を感動させる力を宿すこと。

それがヌースの掲げるミッションであり、私が映像制作を愛する理由なのです。